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私の英語学習歴・到達レベル
これまで製薬英語を勉強するうえで、必要なマインドセット及びフレーズについて、紹介してきた。また、具体的に3つの目標別に勉強基本方針を提示した:①英語を使って最低限仕事ができれば良い、②英語を武器として英語以外の専門での仕事がしたい、③英語のプロとして通訳者・翻訳者などを目指している。
このエントリーでは、私が今までどのような情報からどのような知見を得て、どのように英語学習に時間を費やし、具体的に何をどのくらいこなしてどのレベルに到達したのかをまとめた。当然ながら、上記コンテンツは私の今までの経験が基になっている。
中学時代:平凡な公立中学生
嫌いでなかった英語
私はほとんどの日本人と同様に公立中学校の義務教育で初めてきちんとした英語教育に触れた人間である。最初に当たった先生が情熱的な先生でappleを日本語のアップルとして発音するのではなく、英語風に正確に発音する先生だったので、自然と英語は好きになった。一方で、特別に何か授業以外にやっていたわけではなかったので、周りの学生と比べて目立っていたわけではなかった。また、英会話教室などで身につけた綺麗な発音で教科書を朗読する同級生もいて、特に英語ができるという自覚もなかった。
あまり臨場感のなかったALTの授業
当時米国人男性のALTがいて、担当の日本人英語教師と一緒に授業をすることが数ヵ月に1度あった。米国人教師と日本人教師は生徒に英語で発言を促すものの、必要事項は日本語教師が日本語で説明してくれるという安心感と英語を発言するのが気恥ずかしいという雰囲気の中、ほとんど発言することなしに毎回授業が終わった。
友達と一緒に通った英語の塾
学年が進み、内容が少し複雑になってきたこともあり、当時仲が良かった友達と一緒に、週1回塾に通うことになった。この塾は個人塾で当時大学院を修了して地元に帰ってきた女性が運営する英語専門塾だった。この塾ではプリントを用いて、学校のカリキュラムにしたがって文法事項等を学ぶのが主体だったと思う。時々、洋画を用いて英語を学ぶという時間があったのであるが、まったく聞き取れず学んだフレーズも覚えていない。
高校時代:落ちこぼれたことがきっかけで英語学習に目覚める
難しくなってきた英語や他の科目
私は田舎の学生だったこともあり、授業内容をこなしているだけで学区トップの公立高校に進学することができた。ただ、高校に入ってからは学習内容が中学レベルと比較し大幅に増えたこと、また自宅で勉強する習慣がなかったため、英語だけでなく数学、国語等ほとんどの科目で落ちこぼれてしまった。このため高校時代は下に書くように救世主となる英語教材に出会い勉強が面白くなるまでの期間、かなりの時間を成績下位の同級生とつるんで過ごしていた。
最初の教材との出会い
全教科がほぼ壊滅的な成績だったこともあり、何とかしなければいけないというプレッシャーから、まだその中でもマシだった英語から何とかしようと思い。近所の書店へ向かった。そこで出会ったのが、安河内哲也氏の魔法の長文解法、魔法の英文法・語法である。予備校講師の安河内氏の著作はわかりやすく、少なくとも英語に関しては苦手意識を払拭することができた。ただ、この時点ではまだまだ、高校の勉強についていくため及びゆくゆく必要になる大学受験の英語という意識で勉強していた。
運命を変える実用英語勉強本との出会い
私の将来を決定づけたと言っても過言ではないほど影響を受けたのが池田和弘氏のTOEIC最強の学習法である。当時近所の書店で見つけた時には恥ずかしながらTOEICのとの字も知らなかったのであるが、池田氏の情熱溢れる文体とともに、何をどれだけこなせばどのレベルまで行けるかということが実体験とともに綴られており、漠然と「英語が話せるとカッコいい」「国際人になるためには英語が必須」と考えていた私の心に火をつけた。特に興味深かったのが、世間的には超エリートの京大卒の池田氏が如何に苦労してTOEIC950点、英検1級を取得したかということである。個人的に、最も重要だと思ったこの本のキーメッセージは「インプットさえすれば英語は身につく」である。この点は今の私も同じ意見である。もちろん、「アウトプットがある方がマスターするスピードは圧倒的に加速する」のは明らかである。この本を読んだ後、私は受験英語をマスターしながら実用英語もマスターする方法を模索することになる。
運命を変える英語教材との出会い1:受信英語
上述の池田氏の本を読んだ後、出会ったのは東京SIM外語研究所のスーパーSIMという通信販売の英語教材である。恐らく英語学習参考書に挿んであった広告から資料請求したのだと思う。この教材の売りは同時通訳方式といういわゆる英語を英語の語順のまま英文和訳せずに読み下ししていく方式であり、それを大学受験の長文読解に適用している。この教材を徹底的に活用して、私は今も無意識に使っている英語解釈の仕方の骨組みを身につけ英語を得意科目にした。いわゆる社会人向けTOEIC対策用で同じ同時通訳方式を用いた教材はスーパーエルマーがある。
運命を変える英語教材との出会い2:発信英語、英語発音
上述のスーパーSIMの広告に入っていたのだと思うが、次に出会ったのがリアルリンガルという教材である。結果的にはこのリアルリンガルにより私は大いなる勘違いをすることになり、英語をマスターすることを運命付けられたと言っても良い。このリアルリンガルは現在発売中止になっているが、英語の発音記号すべてに関して非常にわかりやすく楽しくマスターすることをテーマとしたシステム教材であった。この教材を始めて1ヵ月ほどで自分の英語発音がNHKラジオ講座日本人講師よりもネイティブに近くなったことで、自分には才能があると勘違いしてしまった。後で厳しい洗礼を受けることになるのであるが。
このリアルリンガルは非常にわかりやすい教材だったが、アメリカ英語発音をマスターすることを意識した場合、少し間違っている部分もあり、英語の発音こうすればラクに身につく!という本で足りない部分を補強しながら発音をマスターした。この本はハミングバード方式という独特の方式でリズムを意識した英語発音の学習を提唱していた。私が英語発音で使用した教材は以上の2つであり、この時点で英単語レベルの発音はほぼ完成されていた。このことが、私が実用英語を勉強していくうえでどれほどの自信とメリットをもたらしたかは計り知れない。
運命を変える英語教材との出会い3:発信英語、フレーズ集
上述の2教材に加えて私の英語力向上に大きく寄与したのがスピードラーニングである。確か新聞広告を見てサンプル請求した記憶があり、聞き始めてすぐに気に入り、すぐに初級編通常版及びEnglish versionを一括注文した。最終的に中級編、上級編の通常版及びEnglish versionを一括購入した。
活用法としてはEnglish versionを徹底的に繰り返し聞き、音読、シャドウイングしながら徹底的に能動的にマスターした。お陰で以降、英語を話す場面で英語が出てこずに苦労したことはほとんどない。また、後述するが私はこの教材で覚えた米国の救急電話番号911のお陰で命を救われている。その意味では本当にお世話になり思い入れのある教材である。
この教材の非常に優れている点は、クラシック音楽が英会話とともに収録されており、BGMとして流していても疲れないという点である。また、初級、中級、上級とレベル別に、16話構成になっており、それぞれの話で特定のテーマを扱った必要十分英語フレーズが学べることである。
一方でこの教材の欠点は、英語及び日本語が淡々と小冊子に記載されており、文法的解説がまったくない点。また、英語音声の発音の丁寧さと読み上げ速度がナチュラルスピードとうたっている割には不自然に丁寧で、非常に遅く受信英語の教材としてはあまり使えない点である。
教材の売りである聞き流しながら英語が身につくという部分は正直それだけで効果があるのかは、疑問であるが、適切な難易度の必要十分な分量のテーマ別フレーズ集という位置づけにすると非常に有用な教材である。
その他用いた英語教材
上記に挙げた教材の他に受験英語・実用英語の勉強に用いた教材は主として駿台とZ会の教材である。ビジュアル英文解釈を英文和訳の対策として、速読英単語をボキャビル用に用いた。英作文教材は日本語を見て英文が書けるように、それ以外の教材は付属CDを活用して、徹底的に音読・シャドウイングを行った。
- ビジュアル英文解釈①、②:
ビジュアル英文解釈は英文解釈の名著で、中学レベルから東大受験レベルまで受験英語の英文解釈に関してはほぼ構文が網羅されており、今でも英語の基礎固めをしたい人におすすめである。
- 速読英単語必修編、上級編:
速読英単語は単語を覚えるということをそれまでの無味乾燥な単語単体の暗記や、短文暗記ではなく、意味のあるまとまった長文の中で行うことで単語学習の常識を変えた本である。今は中学編、入門編、速読英熟語、リンガメタリカなどシリーズが拡充されており、レベルに応じてこれらもおすすめできる。それぞれCDが販売されているので、音声と結び付けて学習するのが基本である。
- 英作文のトレーニング入門編、実戦編:
英作文のトレーニングは当時あまり種類の多くなかった英作文の対策本であり、今は大幅に改定されているので、新しい版をおすすめする。
- 速読スキルトレーニングテキストAmerican Democracy 400 Years of Struggle:
この速読スキルトレーニング本は現在絶版のようであるが、大学受験レベルを超えた書下ろしテキストが受験英語だけでなく、実用英語をマスターするうえでも役にたった。
到達レベル:
このステージで英語学習にかけた時間は計3,000時間程度と思われる。内訳は中学授業時間300時間+中学自己学習0時間+高校授業時間500時間+高校自己学習2,200時間である。
上記教材を徹底的に活用した結果、大手予備校模試の英語偏差値は70を割らなくなっていた。
また、初めて受けたTOEFL(PBT)は520点だった。
このころまでには、日本にいるネイティブスピーカーと1対1で英語を話すことが苦にならず、勉強が楽しくてしかたがなく、英語圏の大学で専門を学ぶ一石二鳥の選択しを選びたいと思うようになっていた。一方で、ネイティブスピーカーが自然に話している状態だとわからないことが多く、映画、海外ドラマ、アニメも字幕なしではわからなかった。また、Time、Newsweekなどの雑誌はまだ読むのが難しく感じられた。
ここまでに得た知見は何かを始める際にはその道の達人から教えてもらうことで効率よく上達することができ、通信販売等で売られているシステム化された教材は質・量の観点からもスタートダッシュを切るのに必要十分なことが多いということである。
大学時代(米国留学):楽しかったが挫折を経験する
英語と一般教養に打ち込んだ米国大学日本校時代
高校時代に英語の勉強の面白さに目覚めてしまったことで、英語で専門を学びたいと思うようになったのは前述のとおりである。
ただ、周りに大学留学経験者がいなかったことと、まだまだ英語圏への留学に十分な英語力が身についたという確信もなかったので、米国の大学の日本校で1クッションおいてから米国の大学で学ぶことにした。
この日本校では、1年の2学期のうち、1セメスター目にESL(English as a Second Language)、そして2セメスター目に一般教養科目を履修した。
ESLではReading、Listening、Writing、Speakingの4技能をバランスよく学んだ。そして、一般教養科目に関しては、英語、歴史、生物学、数学、コンピュータ等に関して英語で学んだ。
このころ、ほとんど授業の予習復習で教科書をメインに勉強していたが、文法、ライティングでPainless Grammar、Painless Writingという本を副読本として使用した。どちらも米国の中学~高校生程度向けに平易に書かれた本であり、日本人学習者には英語のプロを視野に入れていても必要十分の内容である。
生死にかかわるイベントを経験した米国大学時代
2年目からは、米国の大学に編入することになり、英語、音楽、数学、プログラミング、中国語等を学んだ。
米国に来て、授業以外でも英語生活になったことで、会話の流暢さも大幅に向上していた。英語で生活し、勉強することが楽しく毎日のようにカルチャーショックや新しい経験をして今振り返っても楽しい時代だった。
すべて順調だったように思えたところで、ある朝突然私は倒れてしまう。
当時日本人のルームメイトと住んでいたのであるが、牛乳を飲んで激痛が走り立てなくなり、痛みで動くことができない。幸いルームメイトが出かける前の時間帯で助けを求めることができた。救急車を呼んでくれるように、お願いしたのであるが救急車の番号を知らないので電話することができない。そこで私の脳裏に浮かんだのがスピードラーニングで学んだ救急番号911である。結果的に、ルームメートが911に電話をかけてくれて、私は無事救急車で病院に運ばれ、緊急手術することで一命をとりとめる。
盲腸をこじらせた腹膜炎であった。
入院期間は正味1週間であったが、外国で大病を経験し入院するのは結構キツい経験であった。
皮肉なことであるが、同じ病室になった患者さんの家族、そして看護師さんは非常にフレンドリーで励ましてもらいながら、いろんな医療用語を覚えることができた。
ところが、退院後の私を待っていたのは良くない知らせだった。
まず、そのセメスターで履修していた単位はすべて取り直し。これは出席と授業への参加が重要視される米国の大学では仕方のないことだとはいえ正直堪えた。留学生ビザを維持するためには、1学期に12単位が最低必要であったが、それが全部なくなってしまった。
また、病院からの請求も当時加入していた保険の限度額を大きく超えて請求されていた。
このダブルパンチの後、家族と相談して、留学を断念して帰国する道を選ぶことになった。
この時ほど自分の身体がもっと強靭であったならと願ったことはなかった。
この後、回り道していても就職できることと、体力がなくても世の中の健康に貢献できるという二軸で専攻を選びなおし、薬剤師を目指すことになる。
到達レベル
このステージで英語学習にかけた時間は計4,000時間程度と思われる。内訳は授業時間1,000時間+自己学習時間3,000時間である。なお、厳密には英語で別の科目を学んでいるのであるが、それも英語に触れた時間としてカウントしている。自己学習時間には友人との英語での会話時間もカウントした。
米国大学日本校での1年が終ったところで、再度TOEFL(CBT)を受験したところ、250点であった。
このころの私は自分では英語の達人の仲間入りをしたと思っていた。しかし、その自信は簡単に打ち砕かれることになる。今でもハッキリ覚えているが、米国の入管でいきなり審査管の言っていることが分からなかった。
また、クラスでのディスカッションでも先生の言っていることはわかるのだが、学生数人がディスカッションを始めるとついていくのが大変だった。
雑音が入らずマイクの至近距離で録音された教材や試験と、さまざまな雑音の中、必ずしも近くで話しかけてくれるわけでない実戦とでは求めれる実力が同じはずでなかった。
リーディングに関しても、教科書を読むのに辞書は必需品だった。
日本へ帰国してから受けた大手予備校の模試では英語偏差値は80を超えることもあった。
大学時代(薬学部):専門を学びながら英語もブラッシュアップ
帰国子女扱いされた薬学生時代
前述したようにこの時点ではTOEFL(CBT)では250点、また、大手予備校模試では偏差値80越えを達成しており、大学レベルでも世間一般的にも英語の上級者として通用するレベルだったこともあり、親しくないクラスメイトや教員からは帰国子女と思われていた。
大学の専門の勉強に十分な時間を割く傍ら、専ら英語力を維持することを目的に勉強を続けていた。中途半端に終わった米国留学後は、英語力も中途半端で米国時代の同級生に差をつけられているんじゃないかという焦燥感が常にあり、それがある意味で私のモチベーションになっていた。
発信英語力維持に効いた勉強法
このころの私の課題は、スピーキング能力の維持であった。スピードラーニングのシャドウイングと暗唱で身につけたスピーキング能力で困る場面はほとんどなかったものの、留学中の四六時中英語でインプット・アウトプットができる環境と比較すると成長が止まっているのは明らかだった。このため、Skypeで話せる外国人の友人を数人作って、定期的に電話・チャットをすることでアウトプット能力を維持していた。
このころに出会ったのが森沢洋介氏の英語上達完全マップである。まだ書籍化されブレイクする前でWebサイトを閲覧しただけであるが、森沢氏の英語に対する洞察力、特に瞬間英作文と英語力レベル分けには正直唸った。
英語上達完全マップで紹介されていた中学英語で24時間話せる(1、2)を用いて瞬間英作文を実践したみたところ、確かによりピンポイントで言いたいことが表現できるようになった。
受信英語力向上に効いた勉強法
- ペーパーバックSidney Sheldon(ほとんど全部)やJohn Grishamの小説を計30冊ほど
- 英文雑誌購読
Time、Newsweekを10冊程度、Scientific American(日経サイエンスのネタ本)を20冊程度、Drug Topics(米国薬剤師向け専門誌)を20冊程度 - Podcast
ESL Podcast(以前は無料)、Cross Cultural Seminar全話、Baltbuster30話ほど、Berkeley Grocks(現在はGrocks Science Show) 50話 - 海外ドラマ・アニメ
Dawson's Creek 全128話、24 2シーズン(48話程度)、るろうに剣心(ほぼ全話)、幽遊白書(24話程度)、Zガンダム(50話)(アニメはすべて北米版を視聴)
到達レベル
このステージで英語学習にかけた時間は計3,000時間程度と思われる。内訳は授業時間10時間+自己学習2,990時間である。なお、授業時間は免除が効かなかった薬学英語のみである。自己学習時間には友人との英語での会話時間もカウントした。
就職活動のために企業受けの良いTOEICを初めて受けたところ985点であった。
この時点では、当然1対1でのネイティブスピーカーとの会話は苦にならなかったのであるが、映画・海外ドラマの字幕なし英語理解率は70%程度だったように思う。英語字幕を表示するとすべて聞き取れるのが非常にもどかしかった。Podcast・アニメは80%程度の理解度だったと思う。
映画・ドラマとPodcast・アニメはどちらもほぼ英語的にはナチュラルな表現及びスピードなのであるが、話している人からマイクの距離が異なるので、聞き取りやすさに違いが生じていると考えられた。また、リーディングスピードは日本語の5分の1程度であり日本語よりも集中する必要があるが、ペーパーバックやTime、Newsweekなどの雑誌は普通に読めるようになっていた。
ここまでに得た知見は、巷でも知られているように、日本の英語能力試験(TOEFLも含む)はあくまで英語学習者としてのレベルを図るものであり、満点近くとってもネイティブスピーカーと同じ土俵に上がるとまだまだ苦戦するという事実である。
今振り返ってみると、このステージまでで私は英語に授業時間も含めると10,000時間費やしており、その意味ではネイティブスピーカーからみるとまだまだのレベルであるが、他の一般的な日本人と比較すると圧倒的な英語力があったことは事実である。
このことがきっかけで、研究室の指導教官を通じて学会発表でご縁のあった製薬企業へ入社することになった。